オスピス・ドゥ・ボーヌは別名をオテル・デュー(Hôtel Dieu)ともいい、1443年に貧しい人々を救うために造られた病院である。オスピスが自力で維持できるように、諸侯から寄贈させた61ヘクタールのぶどう畑でワインを作ったり、建物の装飾などを通して、多くの芸術家たちに仕事を与える手段とした。
この屋根のひし形模様はブルゴーニュ独特のものと言われているが、実はこれらの瓦は当時ブルゴーニュ公国が支配していたベルギーのフランドルから輸入したもので、今でもフランドルの古い建物には同じような模様が残っているという・・・。
ここは、「貧しき者の広間」(Salle des "pôvres") と名付けられ、両側には病人のベッドが並び、中央にはテーブルとベンチを置いて食事ができるようになっていた。当時、他の病院では木の食器だったが、ここでは金属製(すず)の食器を使っていたようだ。
ベッドの数々・・・。しっかりプライベートが守られるこの作りには感心した。
広間のつき当たりの部分にはチャペルがしつらえてあって、ここが宗教と医療の共存する場であったことがうかがえる。
これは、設立者であるニコラ・ロランとその妻の頭文字を組み合わせたモノグラム。このモチーフは床のタイルなどあちこちに使われていた。
中庭にあるこの井戸は、ゴシック式の鉄製オブジェの優雅な傑作として有名であると同時に、オスピス全体の給水源としても大切な役割を果たしてきた。
こんな風にいい感じに使いこまれたテーブルやイスを見ると、つい、「あぁ、こんなのうちにあったらいいなぁ・・・」と思ってしまう。瞬間的にのみの市と勘違い・・・?
当時の様子を再現。かいがいしく働く看護婦さんたち・・・。
ピンクの大理石でできている水道。結構贅沢な印象・・・。
その2に続く A suivre...